死刑制度に反対します

 当事者という言葉を使うことの難しさを感じる場面によく出くわします。差別や暴力の問題においては特にこれで誰かを切り離すことになっていやないかとか、ものごとを単純化しているばかりなんじゃないかとか、ある問題とは無関係なグループを作り出すようなメッセージとして機能してしまう可能性など注意すべき点が多い言葉です。それを踏まえたうえでしかしこの場合は当事者という言い方こそが重要な役割を果たすはずだと強く感じるときもまた多くありまして、そのうちのひとつが今回書こうとしている死刑や死刑制度について考えるときです。

 先日4月15日に、死刑の当日告知の違憲性などを問うたある確定死刑囚二人を原告とした国賠訴訟の判決が大阪地方裁判所にて出されました。結論としては原告の訴えが全面的に退けられる形でしたが、 判決の一部にあった「原告らは、現在の法令に基づく死刑執行を甘受すべき義務を負う立場にあり、執行方法の一部である本件運用だけを取り出し、受忍すべき義務がないと主張することはできない」という箇所にかなりの引っかかりを覚えました。原告が訴えていることは死刑執行の差し止めではなくその運用のあり方についてです。具体的には当日告知による尊厳の軽視など人権に関する点、異議申し立てを阻害されることの違法性および憲法第三十一条*1に照らしてそれに反していることなど、その運用の仕方にある多くの問題を指摘しています。しかしその口を塞ぐかのように被せられる“死刑執行を甘受すべき義務”という強い言葉。この表現の残酷さもまた言を俟たないものがあるのですが、こうしてある訴えを抑えつける主体に実はわたしたち一人ひとりがいるのだということと、わたしたちの方もまた抑えつけられ黙らされていることになっているのだ、という認識を持ってわたしはこれを解釈すべきだと思ったのです。

 まず、刑が確定しているか否かに関わらず死刑を言い渡されたひととわたしとの間にはどのような違いがあるのか、ということについて考えたときに、特に死刑を言い渡される経験をしたかどうか以外にその間に違いを見出すことがわたしにはできないということを明示しておきます。それはなにも個人差等を無効化しようとする主張ではなくして、わたしたちとは違うあのひとたちという語りの中に含まれる完全な断絶のニュアンスや排除の思想を共有できないということです。つまりわたしは―これは死刑囚に限定すべきことでもないですが―なにか“犯罪”や“犯罪者”について語るときに、わたしたちとは違うあのひとたちのような仕方ではなく、わたしたちの内のこととして捉え、語っています。いわば社会や何らかの集合体を形成するわたしたちという集団の中に存するある個人やある出来事としてそれぞれを考えているということです。

 社会の中のことだなんて当たり前じゃないか、ということもできるかも知れませんが、しかしわたしたちは何かえたいの知れない怪しげなわけのわからないもの、として特定のひとびとを排除する方向に容易に傾いてしまいがちです。そのことの危うさやそれへの批判、それに死刑についてのわたしの立場は過去記事に書いてある通りなので省きますが、さらにこれに加えて重要なのはわたしたちの当事者性の問題です。死刑制度を維持する社会を支えるわたしたちもこの問題の当事者なのだという事実はもっと共有されるべきです。最終的に命令する法務大臣の立場やそれまでの過程にまつわるものや機関など、法的に定められた制度や手続きなどを振り返るだけでも実に様々な面でわたしたちは死刑制度と関係していることがわかります。直接的なものでいえば裁判員制度被害者参加制度などの諸制度はより当事者性を明確に意識させるものでしょう。判を捺す、執行ボタンを押す、という行為はわたしたち一人ひとりが実際に深く関与していることなのです。どこかの誰かの仕業ではなく、その権力行使に加担するわたしたちの存在抜きには成り立たないものなのです。

 さらに例えば死刑賛成が八割を超える世論調査*2(これも権力による恣意的な操作がうかがえるものですが!*3)にみられるように、消極的にでも容認していればその態度も含めて賛成意見として政府に利用されます。死刑の実態が権力によって極度に隠蔽されていることも考慮すべきですが、この世論調査も含めてかなり多くのひとたちが死刑や制度について、厳しい表現をすればほとんど無関心であると言ってよいでしょう。権力としては消極的なものまで含めて八割賛成ということを盾に押し切れば、多くのひとたちには無関心でいてもらいたいはずです。関心を持たれると困るほどに過多なその問題点を隠しておきたい、それがこの極端なまでの秘匿性に現れているわけです。ですからそんな無関心をきめこんで済ましている様子や態度なども制度を支えるのに十分寄与しているといえるのです。批判は第一に権力にむけられるべきなのはもちろんなのですが、死刑に賛成しようと反対しようと例え無関心だということにしようと、全てわたしたちは死刑に関わる当事者なのです。

 これらを踏まえて判決文に話を戻すと、“死刑執行を甘受すべき義務”という言葉を使って文字通り甘んじて受け入れろと迫っているのはわたしたちだとも言えるのです。一度確定したのだから死んで当然、殺されて当然だという極めて恐ろしい残酷な言葉は、当事者性を勘案してみればわたしたち自身が発しているものだともみなせるのです。またこの立場を反転させて考えてみると、"甘受すべき"だとわたしたちもまたそう迫られる立場でもあるです。それこそ死刑であるか否かに限定したことではなく、権力による決定を"甘受すべき義務"を負うとされる対象には当然わたしたち全員が含まれているのです。そこに意思など関係ありません。どれほど厳しい負担が強いられようが考慮されません。甘んじて受け入れろと叩きつけられるだけ。そういう印象を植え付け浸透させる効果がこの判決にはあるし、それを期待しているようにすら感じられます。抵抗は無駄だから諦めろと何度も何度も繰り返し権力がその力を発揮させるうちに、自然と諦めの空気が支配していくという成功体験を積み重ねてこの国や社会は成り立ってきたからです。 例えば植民地主義レイシズムやセクシズムを支えてきた要素のひとつにその諦めの空気があります。あるときはそれを作り出し、またあるときはそれに抑圧されるわたしたちは常に問題の当事者なのです。

 少し話が飛んでいるように思われるかも知れませんが、あらゆる差別や暴力の連関性を顧慮すれば、植民地主義レイシズムもセクシズムも全て繋げて考えることができます。繰り返しになりますがそれらと闘うものを権力は何度も疲弊しきるまで抑圧してきました。それは過去も現在も変わることなく続けられています。死刑もそうした問題のうちのひとつなのです。つまり特定の誰かを排除し、強大な暴力を行使して力尽くで黙らせる。それはあらゆる差別や暴力と同じ構造をもつ同じ問題なのです。そうした構造をも含めて死刑制度を解体していくためには、死刑制度に関する当事者性の認識が極めて重要なのです。"死刑を甘受すべき義務"ではなく"死刑制度の解体・廃止を訴え実現すべき義務"ならば、まさに当事者としてそれを積極的に引き受けたく思っています。

 

 死刑に関する裁判としては他にも残虐性や再審請求中の執行の是非を問うものなどが現在起こされています。担当の弁護士によるとこれらを問うことによって隠されている死刑の実態を少しでも開示させたいという目的も含まれているようです。ここまで書いたことをじゃあ具体的にどうするのかといえばそれは簡単なことではないでしょうが、しかし少しも不可能なことではなく死刑廃止は十分に実現可能です。生命に関する問題に解決は困難だから関わるのはよしましょうなんて言説にのっかることの方がむしろ困難です。死刑廃止の実現可能性を高めるためには、まず日本の死刑や死刑制度についてできるだけみんなで情報を共有するということが不可欠です。隠すことに尽力する権力にあらゆる角度と方法から風穴を開けていくしかない。そうした抵抗を微力かもしれないがわたしはやり続けていくつもりです。最後に情報共有として、先に挙げた内閣府世論調査は五年毎に行われることになっていますからまさに今年2024年に実施されるはずなのですが、それについての参考となるポッドキャスト番組のリンクを以下に貼っておきますので良かったら聴いてみてください。

丸ちゃん教授のツミナハナシ-市民のための犯罪学-:Apple Podcast内の#009 死刑制度に対する人々の印象と実態〜世論調査から考える〜

*1:何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

*2:3ページ目-基本的法制度に関する世論調査(平成26年11月調査) | 世論調査 | 内閣府

*3:内閣府世論調査の問題点については以下のホームページ及び意見書の内容を参照。

日本弁護士連合会:死刑制度に関する政府世論調査に対する意見書

4月1日に

 沖縄県中頭郡読谷村にあるチビチリガマ沖縄戦での”集団自決”とともにその名はよく知られている。わたしがチビチリガマのことを知ったのは中学生のときのある授業でのことだった。それは平和学習といった類のものではなく通常の理科の時間だったのだけれど、そのときの担当の先生がまるまる授業ひとコマかもしかしたらそれ以上の時間を使って、ときにスライド写真などもまじえながら沖縄戦と”集団自決”の話をしたことがきっかけだった。それ以前から知識として”集団自決”を知ってはいたものの、その場所の詳しい話や写真をみたこの時間は、確実にわたしにとっての画期だったと今でもそう思っている。

 二十歳のころ友人数人と沖縄を旅行した。それがわたしにとって初めての沖縄訪問だったわけだが、まるでその内容といえば絵に描いたような観光そのもので、またそれなりの人数だったこともあり組まれた通りの旅程を過ごして終えた数日間だった。しかしわたしはそれからの数年間、ただ観光をして帰ってきただけの自分に対するとてもがっかりした気持ちや、後ろめたい罪悪感のような感覚と後悔をずっと抱えることとなる。それは日本の琉球・沖縄に対する植民地主義や抑圧的政策、現在も続けられている周縁化や差別の問題における強者の立場として、まさに絵に描いたような搾取的態度を示してしまったそんな自分への幻滅と、また中学生のときのあの授業から受けた影響は明らかだというのに、わたしは一体なにをしているんだという嫌悪感が渾然となったものだった。

 それから十年ほどが過ぎてわたしはひとりで沖縄に行く機会を得た。例え独りよがりなことであっても今度こそちゃんと真剣に訪問したい、それが沖縄と“向き合う”ことになり得るのだと、沖縄戦の戦跡*1や資料館などを訪れるために事前に幾つかの関連図書を頼りに準備をし、最初に向かう場所をチビチリガマに決めて沖縄へと出発した。

 宿泊先の那覇市のホテルからレンタカーを走らせ読谷村へ。カーナビに案内されながらみえてきた道路沿の駐車場に停めて—まだ早朝なこともあってとても静かな中、目印の案内板の方へ進み階段を降りた。わたし以外に誰もいないその状況に少し緊張しながらゆっくりとガマの入り口に近づくと、そこには立ち入り禁止の看板とともに多くの千羽鶴が手向けられてあった。入り口のそばには金城實氏の作品「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」。その作品が作られた経緯とともに、ここチビチリガマで起きたことを伝えている追悼碑も建てられてある。

 1945年4月1日、米軍はここ読谷村から沖縄本島に上陸した。翌2日までにチビチリガマへ避難していた住民約140名のうち83名が”集団自決”によって犠牲になった。”「集団自決」とは、「国家のために命を捧げよ」「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである”と碑にはそう刻まれている。日本による植民地主義帝国主義軍国主義によってもたらされた犠牲。沖縄戦よりもっとずっと遡って、琉球を侵略し併合した大日本帝国の暴力から始まる歴史が、多くの沖縄のひとたちの生に死を強制した。その事実をこの場所はずっと伝え続けている。

 そうして数十分が経ったころだろうか、数名の団体のひとたちが階段を降りてきた。後でわかったことだが東北の方面から来た方々だったようで、ガイドの方の説明を熱心に聞いていた。実はわたしもちゃっかりその説明を離れた場所で聞いていたのだが、そのガイドの方というのが―これも後になって知ることになるのだが、知花昌一さんだった。するとこれから実際にガマの中に入って説明をするのであなたも一緒にどうかという、知花さんからの思いがけない提案をいただいたので、ありがたさと驚きとが入り交じった心持ちでわたしもついて中へと入っていった。*2

 ガマの中はライトを照らしていないと全く周りが確認できないほど暗い。さっきまでいた入り口付近とは全く違う世界かのように、その静寂さもまたひとつ段階が違うほど際立っている。ここにかつて140人ものひとたちが―と考えればどう表現しても不十分なほど、想像を遙かに上回る苦しみがあったに違いない。今でも多く残されている遺品となった容器や道具など、保存状態や大小も様々なそれらについての知花さんの説明を聞きながら、このまっくらな中に存在している生と、静寂の中にきこえる声とに圧倒されたわたしはその場に崩れるようにして泣いた。こんなつもりで来たのではなかった。“悲しい過去”のようにことを相対化して涙する自己満足のために沖縄に来たんじゃない。土足でズカズカと入っていくようにして、沖縄戦のことをその犠牲のことを沖縄の現地のひとに説明させるために来たんじゃない。そんな傲慢な態度を“内地”からきたものとして示さないように努めることが最低限と考えていたんではなかったのか。それらがあまりにも情けなく思え、しかし涙を止めることもかなわない自らを酷い嫌悪感が襲った。ここにわたしは来た、じゃあどうするのか。これをみた、そしてお前はどう考える。そう何度も何度も自分に問いかけながらガマの外へ出れば、先刻までいたそこもまた別の場所のようにすら思えた。そうこうするうちに次の場所へと移動する知花さんたちとはここでお別れとなった。

 今でも後悔しているのは、知花さんにはほんのお礼の言葉くらいしか伝えることができなかったことだ。自分の思いを何かひとつでも、全く完成されたものでなかったとしても少しくらいは言葉にしたかった。しかし今こうして文章にしてみたところで、ほんの少しだって語れていないようにわたしは感じている。あれから数年経った今も、そのときの気持ちを上手く表すことができないままでいる。考えてみればそれはわたしが沖縄について何か発言するときに抱く、いつも上手く表現できず何ひとつ答えられない状態や感情とも繋がるものだ。米軍や自衛隊基地に反対する立場を取りながら、では基地を日本で引き取ってはどうかという指摘には、それについて自らの言葉をまだ持ち合わせていないと言わんばかりにわたしは逃げてしまう。“加害者”ではなく“理解者”としてともすれば振る舞ってみせる自分の権力性に本当はいつも気づいている。向き合う。沖縄に向き合う。琉球に向き合おうとは言うものの、本当に向き合わなければならないのは自らのそうした権力性なのだった。

 沖縄に“向き合う”ことを考えて始めた旅は、向き合うべきは日本であり、自分の権力性の方であるということを明らかにした。今こうして書いていることもまた、権力性をまとって利用しているに過ぎないと批判されるとすればそれは全く的確だと思う。自身のポジショナリティ/立場性というものを意識することは、水平的な関係性を築いていくための基本的なスタンスとして常に維持されていなければならない。つまり何よりもまずは己はどうかと問い続けることこそが重要なのだ。要求されるのは、日本社会や自身が内包する植民地主義を暴きそれを解体することだ。チビチリガマに始まる沖縄滞在の間での、ゆくりなくも訪れた何ものにも変え難い貴重な出会いや体験は、何をみて感じて考えていかなければならないのかということをわたしに深く深く刻みつけてくれた。自らの植民地主義を無意識の領域から引き上げ、さらにそれと対面するということは想像よりも困難なことだ。苦しさを伴うことも否定しない。しかし、沖縄ー日本の関係を水平的なものへと正していくためには、必ずそこが原点となるということを決して忘れてはならない。

 

*参考図書*

大田昌秀(編著)『写真記録沖縄戦 国内唯一の“戦場”から“基地の島”へ』/高文研

•知念ウシ『シランフーナー(知らんふり)の暴力: 知念ウシ政治発言集』/未来社

•野村浩也『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人 増補改訂版』/松籟社

•前田 勇樹 、古波藏 契 、秋山 道宏 (編)『つながる沖縄近現代史 沖縄のいまを考えるための十五章と二十のコラム』/ボーダーインク

 

*1:ここでは一般的に戦争と関連するものであると認知され得る土地や遺構等を指す用語として特に使用している。

*2:本文中にも記したが、ガマの中への立ち入りは基本的に禁じられている。シムクガマと併せての紹介と見学についての注意点等はリンク先の読谷村観光協会のホームページを要確認。

チビチリガマ・シムクガマ | 読谷村観光協会│観光地や史跡情報、飲食店、宿泊施設など、読谷村の観光情報ならおまかせ!

“議論”のまえにすべきこと

 今年の初めにKADOKAWAから出版予定だったある翻訳書が昨年12月に急遽中止されるという事案があった。あえて作者、作品名には言及しないが、そのトランスジェンダーに対する差別、憎悪扇動的な内容や明らかな誤情報、事実歪曲的記述などに多くの批判的指摘が既になされている書籍である。その中止までの顛末やその後のKADOKAWAの対応などかなり不誠実で無責任なものへの怒りはあれど、あのままの状態で日本で出版されることがなかったということにわたしはひとまず安堵していた。ところが出版社が産経新聞出版に変わる格好で出版される予定だという。この事態に大きな衝撃を受けた。

 なにせ「正論」を出している出版社である。そこからヘイト的内容の含まれる書籍が刊行されることには何の驚きもない。そんなことにではなく、ヘイトや差別扇動がまた広くなされてしまうこと、それを利用してまた別のヘイトや差別に繋げるものが現れること、そして“表現の自由”だとかでヘイトさえ認めようじゃないかと言い出すものまでが溢れることが容易に予想されてしまうこの現状におののいているのだ。そこから生じる動悸に焦り、その戦慄に押しつぶされそうになっている。

 ヘイトや差別扇動では、恣意的に選択した情報を並べて歪曲した事実をかなりセンセーショナルな文言を使って宣伝し惹きつけるという手法がよく使われる。件のヘイト本でもそれは同様だ。そうしたヘイターの立場からすれば“議論”という構図を作り出した時点でひとつの目的は達したということである。そのような構図を作り出すことで、議論の俎上に載せるに値するある種の正当性のある説かのように印象付けることにも成功するだろう。だからこういった言説に対して“議論”という場を作ったりそれにつきあったりしてはならないしその必要もない、ということはよく指摘されるところである。これはまた歴史修正主義の場合とかなり似てもいる。

 わたしも基本的にそれは全くその通りだと思うのだが、しかしそもそもがそのような言説を公にした段階で、ヘイト本ならば出版された時点で、その構図は完成してしまっていると考える。対抗するための“議論”に乗り出す以前にもう“議論”は始められているわけだ。発言するものや出版する企業の規模など、その権威性が高まれば高まるほどに“議論”として認識される可能性も高くなるだろう。そうなれば憎悪を向けられるものやそれに対抗するものらは否応なく、場合によっては不意打ち的に“議論”に参加させられ一方的にジャッジされる。ヘイトや差別扇動にはその言説そのものの中身に加えてそういった暴力性も含んでいるのだ。そこに存在しているものを勝手にある枠組みの中に引きずりこんで「おいお前言われてることに言い返してみろ」とやりだすのだ。たまったもんではない。

 そして”表現の自由”という文句を使ってのヘイト擁護をするものたちに至っては、全く実態を捉えていない浅薄な考え方だと言わざるを得ない。先にも言及したが、そのセンセーショナルな仕方での扇動による力に対抗することは並大抵のものではない。先に出されたものが与えるインパクトを後から出す対抗言説で抑えることはかなり困難であるし、それをひっくり返すことはほとんど不可能といっても良い。この事実は何度も何度も繰り返されてきたヘイトや差別扇動とそれへの対抗の歴史をみたならば明らかなことだ。例えば共通点の多い歴史修正主義でいえば、関東大震災時の朝鮮人虐殺否定論や南京事件否定論など、そもそも“論”というのも憚られるほどのデタラメがいまだに跋扈している現状。いわゆる嫌韓嫌中本や〇〇特権のようなことを吹聴する本などにもいくらでも対抗言説やそれらを批判する書籍はある。しかしいまだにそれらは力を持っているといえばそれは全く過小評価で、権力者がそれを利用したり公の場で堂々と宣うという始末である。わたしたが前提としなければならないのはそんな腐った社会なのだ。

 そもそも差別に反対する立場の言説が弱められている社会的背景も考慮されていない。強さや勇ましさが称揚されそれに反するとみなされるものは貶められる。平和主義的思想を“お花畑”と揶揄することもその表れのひとつだろう。表現の自由だ、言い返してみろ、と言われたところでそれをやるのは誰が?どこで?である。そこには圧倒的な権力差がある。あたかも水平関係にあるようにみせかける詭弁だ。“焚書”などというのはもってのほかである。そこにある権力関係をあからさまに逆転させている。例え何かしら反論したところで、ヘイト本を買って読んだものがその反論を読むとも限らない。しかしそのコストを負担させられるのはいつも圧倒的に力を奪われ続けているものらである。何よりまずなされなければならないことは、権力を持つものがヘイトを拡散することをやめること。それだけである。

『福田村事件』

『福田村事件』(監督/森達也、脚本/佐伯俊道、井上淳一荒井晴彦)を観ました。1923年9月6日、香川県のある被差別部落から関東に行商にきていた一行が、関東大震災時の朝鮮人暴動デマによって扇動された民衆に暴行を受け、そのうち十人が惨殺されたという“福田村事件”をテーマとした映画です。既に公開から半年近く経過していますし、様々な批評、レビュー等あるでしょうが、わたしなりに少し批評してみたいと思います。

 


 

 澤田智一(井浦新)、澤田静子(田中麗奈)の夫婦が、当時の植民地朝鮮から福田村へ戻ってくるところから物語は始まる。朝鮮にある国策企業の重役を親にもつ静子と朝鮮では教師をしていたという智一。周囲からかなり浮いているのはふたりの都会的な出たちだけが理由ではなく、封建的な共同体の中にリベラルな思想を持ち込んでいるがゆえでもある。ふたりがかつて朝鮮で目撃した日本人による暴虐の数々がその思想形成に大きく影響しているのだが、特に智一について言えば4年前の三一独立運動の際の朝鮮人虐殺に不本意ながらも関わった自身の過去に苦しみ続けている。福田村に帰ってきてからは極力権力的立場からは距離を取って生活しているのも、権力に利用され虐殺に加担した過去に起因するものと思われる。

 智一の寝ている布団に入ろうとする静子に「できないんだ」と彼が拒絶の意思表示をするある夜の場面がある。静子の「4年前からよ」という台詞によって、智一が静子を拒絶することとかつての彼の朝鮮での経験とが重ねられる。このような、あるものの性的な決定や意思を、その個人のある経験と結びつけることで解釈できるように誘導したりそう説明したりするというのは非常に暴力的な表現である。他者からの一方的なまなざしによって規定されることで個人の自己決定が歪められ毀損されている。また彼のように一見マッチョとは離れたキャラクターをそう表現するというのもまた暴力的であるしそもそもかなり安易なのだが、“妻に求められても応えられない夫”という“男性性の喪失”を智一に被せる、構図としては実はかなりマッチョな場面でもある。

 島村咲江(コムアイ)はシベリア(対ソ干渉戦争)で夫が戦死したという経験をもついわゆる“戦争未亡人”である。咲江は村で船頭をしている田中倉蔵(東出昌大)と性愛関係にあり、そのことを噂されたこのふたりは村でつまはじきのような扱いを受けている。その中でも特に倉蔵に対して執拗な敵愾心をみせる井草茂次(松浦祐也)は、妻の井草マス(向里祐香)と父井草貞次(柄本明)の“嫁ー義父”の間の性愛関係に苦しんでいる。ここでも性愛を出発点とした”男性性の喪失”が描かれている。茂次の父貞次に対する屈折した感情や強烈な劣等感は、倉蔵に対する攻撃に転化される形で表出される。咲江との関係によって村では周縁的立場に追われている倉蔵が、男性性を軸にした場合には優越的地位を与えられるというセクシズムの構造が、茂次による攻撃にはじまるふたりの対立関係によってより明白に浮かび上がる。

 

 一方、智一のもとを去ろうと家をでた静子は倉蔵のこぐ舟に乗って河を渡る。その舟上でふたりはセックスをするのだが、最中に起きた地震(関東大震災)でそれぞれの身を案じてかけつけた智一と咲江にふたりの関係は目撃されることとなる。この件によってこの四人の関係は“痴情のもつれ”のような展開をみせるのだがこれについては後に検討することとして、まず女性の性愛描写についてである。智一の拒絶に表されるふたりの関係性の距離に苦しむ静子。夫の出征と戦死に加えて"戦争未亡人"というラベルを負わされている咲江。夫茂次の出征中に義父貞次と関係したマス。このように三人の女性は共通して“淋しい女”という背景を背負わされている。むしろ“淋しい女”でなければならなかったとさえいえる。そうでなければ欲求を開示することも、規範からはみ出すような行動をとることも全て許されない。何らかの理由、それもマジョリティが納得し同情さえする“好ましい”理由が付帯されて初めて女性の性愛やセックスという行為が語られる、あるいは語ることを許される。極めて古典的な“女性性”を要求するセクシズムに基づいた構図の上でこの三人の女性の性愛は描かれている。

 静子、咲江、智一、倉蔵の四人の関係性は、モノアモリー、モノガミー規範を前提としている。この規範が社会にとって支配的位置を占めているからこそ成立する展開なのだが、この無自覚と思われる表現を繰り返すことによって存在を否定され口を封じられる立場のひとたちがいることをまず押さえておきたい。その上である規範から外れた行為によって共同体の中で周縁化された立場として描かれてきたものたちを、また別の規範にいわば縛り付けるようにして当然のように役割を当てはめて物語を動かしている。全体的にいわゆる説明台詞が多用される映画なのだけれど、ここについてはあまりにもその前提が自明なことかのようなその振る舞いが作用してか、キャラクターによる直接的な語りが少ないぶん個々の想いなどはみえてきづらい。一方的にかなり前向きな捉え方をして交差性が描かれているとみることも可能だが、しかしいずれにしてもその機能として暴力性を湛えていることは重ねて指摘しておきたい。

 

 ここまで“女性性”“男性性”といった性規範やセクシズムが性愛描写を中心に様々な仕方で表現され、抑圧や暴力などの形となって映画内で表出される様子をみてきた。そして時間が9月6日へと移り、在郷軍人をはじめとする民衆が行商団を囲いこんで罵声を浴びせている場面、まさに“事件”が勃発する中での静子と智一の行動の中にもそれらはみられる。騒動の中静子は「あなた、また何もしないつもり?」と智一を糾す。戸惑いながら動かない智一を見て諦めた静子が自らその中に飛び込もうとしたのを制するように智一が「この人たちを知っています」と叫び群衆の中に割って入っていく。“妻を守る夫”という演出を通して智一の“男性性の回復”は劇的に達成される。映画内では確かに一貫して抑圧的で暴力的なものとしてマチズモを否定的に描いている。特に在郷軍人たちのようなその象徴的存在には“愚かさ”を付帯して批判してもいる。しかし智一についてみれば結局“男をみせる”ことでしか救いを用意することができなかったわけだ。言い換えれば、権威やその抑圧を表面上否定的に描きだしてはいるものの、上位の男性性と下位の女性性というジェンダー構造はそのままに、むしろそこに無批判に乗っかる形でしか彼を物語ることができなかったといえる。

 もっともこの映画でなされていることは抑圧的に働く規範などを解体しようと試みることではない。あくまでそれら規範は事件を“普通の人々”を通してみようとするときにその背景に存在する諸要素にすぎない。だとすれば、解体を試みることやその可能性を語ることができるのは鑑賞するこちら側だと考えて批判的にそれらを検討してみた。物語を動かす多くの要素を性愛(異性愛)に帰着させてみせ、あらゆるパーソナリティやキャラクター同志の関係性をもそれで説明しようとすることそのものや、その規範的構造に無自覚、無批判でいることの権力性や暴力性についてわたしは批判的にならざるをえない。

 

 しかしここまではまだ良い方で、行商人の部落女性についてはほとんど何も描かれない。例えば物語の中のマイノリティが無謬化されて描かれる問題についてはよく指摘されるところだが、本作についてはその問題への注意を払った様子は確かにうかがえるものである。しかしそれでも部落の中の家父長性や性差別については批判どころか全くそうだとよめる直接的な描写はない。部落女性に至ってはまともに描かれないがゆえに批判も評価もしようがない。まさにこの映画が描く1923年に結成された婦人水平社の面々が訴えたことを、100年が経った今もまだ訴えなければならない。そのことが実に残念だ。部落の女性の受ける抑圧をないことにしその存在を歴史を消すな。そういうことである。

 “普通の人々”を通して虐殺を描く重要性は重々承知している。しかしそれでも言葉を奪われてきた、いや今も奪われているマイノリティによる語りをわたしは聞きたい。性愛を中心に書いてきたが、全て異性愛に限定されているこの映画でのそのあり方を含めて、ジェンダーセクシュアリティについて完全に存在を消されるマイノリティへの暴力は延々と続けられている。そこにいない、何も語らない語られないことについての批判をすることの苦しさは、それを訴えるためにどこをいくら探しても誰もいない虚無に向かって繰り返し叫んでいるような感覚だ。現実は言わずもがな、物語においてさえ語られない、語ることを許されなかったものたちの声を、わたしはそのままにしておきはしない。“朝鮮飴売りの少女(碧木愛莉)”とクレジットされた、名乗ることさえ許されなかったその人の名は”キム・ソンリョ”である。

 


 

 「朝鮮人なら殺してもええんか!」行商の支配人沼部新助(永山瑛太)によるこのセリフがこの映画の根幹部分です。まさにここに全てが集約、凝縮されている。この人たちは朝鮮人ではない、日本人を殺すことになるんだぞ、と言って群衆を抑えようとするものを含めた“日本人”に向けられたその言葉を、いまだわたしたちは自身に突きつけなければならないという現状があります。しかしまたその言葉でさえ“日本人”によるものだという権力関係もみのがしてはならないことだと考えています。

 全くの余談なのですが、咲江のことについてひとつ。「(夫に)化けて出てきてもらいてえ。会いてえし」と倉蔵に向かってつぶやく咲江のその姿に、表出することをためらいながらも、こちらにみせているよりももっとずっと奥のほうに確かにある彼女の想いが垣間みえるような気がしました。

 

【参考文献】

・『証言 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』/奥崎雅夫(編)(ちくま文庫

・『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』/辻野弥生(五月書房新社)

・『全国水平社1922-1942 差別と解放の苦悩』/朝治武(ちくま新書

反日的狼煙

日帝は、36年間に及ぶ朝鮮の侵略、植民地支配を始めとして、台湾、中国大陸、東南アジア等も侵略、支配し、「国内」植民地として、アイヌ・モシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われわれはその日本帝国主義者の子孫であり、敗戦後開始された日帝新植民地主義侵略、支配を、許容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家共を生き返らせた帝国主義本国人である。これは厳然たる事実であり、すべての問題はこの確認より始めなくてはならない。

 

 まず最初に正直に言及しておかなければならないと思うのは、学生運動新左翼の運動に付与された暴力的イメージに、特にマスメディアで今もなお盛んに喧伝されているそれらのレッテルにわたし自身も大小はともかく影響されているであろうということ。そういったものを拒否し抗う意思を一方では持ちながらも、わたしの中にある忌避意識というものはたとえそれが権力によってある意味で植え付けられた仕方で形成されたのだとしても、疑いようもなく否定できないものとして確実に存在している。

 松下竜一『狼煙を見よ』*1を読んだ。東アジア反日武装戦線“狼”を中心としたルポルタージュである。自覚さえしている偏見から生じた忌避意識を引きずったままの格好で、果たしてわたしに何が理解できようかという不安も少々感じながら本書を手に取ったわけだが、はたしてそれはわたしの不明をより明確に浮き彫りにさせる内容であっただけに止まらず、あまりにも剥き出しのままの原石のような言葉と思想と行動の数々にわたしはとてもショックを受けてしまった。もしかすればそれはわたしが避けて通ることができなかったはずのものではなかったのでは、という根拠のない予感のようなものがあったのだが、実際それは的中した。

 

 冒頭に引用したのは『腹腹時計』と題された『都市ゲリラ兵士の読本Vol.1』に書かれる“問題提起”その1。これは大道寺将司によって書かれた箇所だが、“すべての問題はこの確認より始めなくてはならない”とあるように、この問題意識こそが“狼”ひいては東アジア反日武装戦線の思想の根幹を成すものと言っても差し支えない最重要部分である。続けてその7には以下のようなことが書かれている。

 われわれは、アイヌ・モシリ、沖縄、朝鮮、台湾等を侵略、植民地化し、植民地人民の英雄的反日帝闘争を圧殺し続けてきた日帝反革命侵略、植民史を「過去」のものとして清算する傾向に断固反対し、それを粉砕しなければならない。日帝反革命は今もなお永々と続く現代史そのものである。そして、われわれは植民地人民の反日帝革命史を復権しなくてはならない。

 このように日本帝国主義植民地主義を今なお続く問題として捉え、“「過去」のものとして清算する傾向”という問題の矮小化や歴史歪曲的な言説に対しても”断固反対”するこの表明は、最悪な事態ながら今日の日本社会においても同様に通用する提言でもある。繰り返すがこれは実に最悪な事態である。

 ここで整理しておきたいのだが、“東アジア反日武装戦線”とはそういう名の組織というよりも、“東アジア反日武装戦線という闘争とその思想”といった方が実態に近い。それに共鳴したものらと各グループ(狼、大地の牙、さそり)の行動があったという理解をわたしはしている。引用した『腹腹時計』の問題提起からも確認できる通り、”植民地人民の英雄的反日帝闘争”が言い換えれば“東アジア反日武装戦線”そのものなのであり、先に挙げた各グループはそこに立場性という概念を当てはめたものとして解釈できる。つまり組織そのものよりも、個人とその思想の方により重心がある。また積極的にオルグなどを展開しないというのは“都市ゲリラ”としての手法なのだろうが、その点も他の左翼組織とは一線を画していて、かなりアナキズムに近接する思想とあり方であることもその特徴のひとつだ。

 

 今年(2024年)に入ってすぐに流れた報道によって、連日のように東アジア反日武装戦線のことや連続企業爆破事件のことがマスメディアやネットメディアで話題になっていた。多くのデマや憶測に基づくいい加減な言説が同時多発的に吹き荒れている状況の中で、特にわたしが怒りを禁じ得なかったのはミーム的な仕方で茶化したりバカにしたりおもしろおかしく扱うネット上に溢れている様々な仕草だった。さらに“極左暴力集団”や“テロリスト”という言葉で罵倒したり侮辱したりなど、そうした言葉を並べて否定することを繰り返すか、果ては“なぜ半世紀もの間潜伏できたのか”という想像をみんなで話し合ってばかりいて、肝心の主張やその中身にはほとんど踏み込まず触れもしない、そこに何か奇妙な違和感とともに空恐ろしい感じさえしていた。

 報道でも何度も繰り返し取り上げられていた三菱重工本社爆破事件。実はこれ以前に“狼”が計画していたのは天皇裕仁を爆殺することだった。本書を読む中でこの事実を知ったとき、わたしの抱いていたいくつかの疑問点が解消された思いがした。というのも、三菱は帝国主義植民地主義の先頭を日帝時代から歩んできた企業であることは事実だが、しかしなぜまずそこなのかということの理解が追いつかない感じがしていたからだ。天皇暗殺計画は結果的に頓挫することになり、韓国で起こった“文世光事件“の影響もある中で焦燥感に駆られながら三菱重工本社に狙いを定めることになったのだが、畢竟日帝を粉砕するということは、天皇制の解体を避けて通れる問題のはずはなかったわけだ。至極当然のことではあるのだが、ここがひとつの原点だということは何度も確認しておきたいとても重要な事実である。

 大道寺らを取り調べている際にそのことに気づいた検察は当分この事実を秘匿しておこうと決める。天皇を狙う集団が存在するなどとは世の中に発表できないと考えたのだろうが、その考え方や空気は今も変わらずこの社会を包み込んでいる。否、むしろ現在の方がよほど過剰に反応しているようにさえ思える。“不敬”などという言葉を臆面も無く投げつける、そんな光景に特に違和感を感じないほどまでに天皇イデオロギーが浸透しているといっても誇大な表現ではない。そんな何かを隠している感じ、あの集団が何を訴えていたのか正確には伝えないように伝わらないようにしか話さないメディアの態度、そういったものに奇妙な違和感や気持ち悪さ空恐ろしさをわたしは感じたのだろう。

 しかし天皇制解体のための天皇暗殺という手段をわたしは強く批判するし、その行為そのものは否定したい。死刑制度の問題とも繋がるが“死んで良い”あるいは“死ぬべき”存在などはいない。“殺す”べきは天皇という権威なのであって、それをまとった生命の方ではないはずだ。わたしたちが“殺す”べきなのは身分制度としての天皇制である。しかし天皇暗殺が即天皇制廃止につながるわけではないこと、さらに左翼弾圧を強める結果を招く恐れがあること、それでもやはり戦争責任や植民地主義に対する責任をごまかしてきたという矛盾や、天皇イデオロギーに支配されている状態を顕在化させる必要があり、それには天皇を攻撃するという選択は必然であったことという大道寺が著者に語った考えをわたしは否定することはできない。それどころか最終的に取るべきだと考える手段の違いはあれど、その根本的思想については全く同意する。暗殺どころか少しの批判もはばかられるような空気がここまで浸透し支配している現代においては、なおのこと日帝天皇イデオロギーの差別性や暴力性を明らかにし、それを解体していかなければならないことを示していく必要性はより高まっていると考える。

 

 

 ここまでわたしは被害にあった方たちのことについては言及していない。『狼煙を見よ』を読んだ後の判断としてはそれが的確だとわたしは考えているのだけれど、それに関わる重要な箇所を一部引用することにする。

大道寺将司はその取調べ過程や法廷で、死者に対する謝罪を表明していない。そのことから彼には反省や心の痛みがないのだといわれたりする。だが国家権力の前で詫びないということと、彼の本心が詫びているのかいないのかということとは、まったく別なことなのだ。*2

 そもそも一連の事件を“犯罪”という一言で片付けてその背景にあるものをみようともしない態度をとりながら、しかし一方で謝罪や反省を促しての断罪は延々と続けられるこの偏りというものはどう説明されようか。わたしたちに向けられた問いは再び蓋をされ、それに目を向けることは周到に回避され続けることになるだろう。それがどれほど権力を利する行為なのかは言うまでもないことだが、それもまたわたしたちに突きつけられた問いの中に含意されていたことでもあったろう。わたしたちとの間に権力を介在させることを拒否する闘いとしてみれば、それはむしろわたしたちの方がより実効性としての力を有していたはずではなかったろうか。

 また”大地の牙”の浴田由紀子は、キム・ミレ監督『狼をさがして』の中でかつての闘争を踏まえて自身の考えを以下のように語っている。

「敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て作り出す戦い方をしたい。それはもう誰も死なせない革命でもあるはずです。(中略)(それは)同時に私自身がパレスチナ革命と出会う中で学んだ、革命とは何か優れた誰かが理想の社会のかたちを作って人々に与えることなのではなく、いま現在、生活の場からの人と人との関係を変えていくことなのだ、という思いを実践することでもありました」*3

 巷では誰かの思想や行動を批判するときに愚か者のような見方や扱いをしてそれを一蹴する態度がよくみられるが、しかしそれは他者の実に様々な経験を軽んじる全く傲慢で侮辱的な唾棄すべき行為だ。勝手に自分たちが作り上げた像を使って実存を弄んでいるにすぎない。存在しない場所に存在しない“悪”を仕立て上げたうえに、それを存在するものにあてはめて好き勝手に罵り排除することはなぜ許容され得るといえるのか。最低限、あるものをみて評価することができる自分の権力性や暴力性をまずは自覚するべきである。このような考え方に浴田自身が至るまでのことはわたしにはわからない。しかし想像しかできない場合であったとしても、書かれたことや語ったことをもとに可能な限りわたしは真摯にその背景と思想とに向き合いたい。

 

 

 松下竜一は自身の最初の作品『豆腐屋の四季』が世間に喝采を持って迎えられたことを次のように分析している。

全国のキャンパスにバリケードが築かれ、ヘルメットの学生達があらゆる権威を否定してゲバ棒武装し叛乱に立上がっていた時期である。私が模範青年としてもてはやされる意味は、彼らと対照するとき鮮明に見えてくる。零細な豆腐屋としての分際を守り、黙々と耐えて働いているおとなしい若者に誰もが安心できたのだ。*4

 あるものを恐れ排除することでは解決されなかった不安は、その対になる“模範生”を見出したものから得る安心によって埋め合わせられる。“極左暴力集団”や”テロリスト”と言ってあるものらを断罪し、自らとそれを切り離す行為によっても取り除けず、むしろぽっかりと開いたままのその口がますますよくみえるようになってしまったほどの不安をわたしたちはまた別のあるもので埋めようとする。それは右翼的なものかはたまたリベラリズムか他の左翼であるのかなど様々だろう。しかしそうしている間中あらゆる問題を、自らにも突きつけられているはずの多くの問題をみんなみなくて済ませてしまっている。そんなことばかりをわたしたちは繰り返してきたのではなかったか。そのようにわたしは考える。

 

 反日という語がある種の罵倒語として機能しだしてから久しい。あたかも必然性を湛えた悪の概念かのような仕方でマスな空間でも頻繁に用いられている。中には反日本ではなく反日帝だと説明するものもあるが、いやわたしは反日本であってその何が悪いのかと思う。いまだにレガシー的に帝国主義を引きずったまま、植民地主義そのものの政治や思想が支配し、天皇制を護持して身分制度と家父長制を強固に維持する差別社会を作り出す日本に反旗を翻して何が問題だろうか。アイヌ琉球などの民族そのものを否定する言説。沖縄県の米軍基地や自衛隊基地問題セクシュアルマイノリティの権利回復運動やフェミニズムに対するバックラッシュ在日コリアンをはじめとする民族的マイノリティに対する排外主義的、人種主義的ヘイトスピーチ。障害者差別と能力主義、優生思想。枚挙にいとまが無いほどのこれら数々の差別とヘイトの根底に天皇制という身分制度と家父長制、それを基盤とした日帝帝国主義植民地主義がある。当然列挙したものだけではなく、直接的にはみえにくいが複雑に交差した結果生じている差別や暴力は無数にあるといっていいだろう。

 むしろ全ては反日の思想から始まるのだ。”すべての問題はこの確認より始めなくてはならない”。それは河岸の向こうにあるのではない。風の中にでもない。過去などでもなく、現在の、わたしたちのいるこのすぐそばで、この場所で、今上がっている、狼煙を見よ!

ダイアナという名の少女

 アン・シャーリーのとなりにはいつだってダイアナ・バリーがいます。『赤毛のアン』の主人公アン・シャーリーの"腹心の友"ダイアナ・バリーのことは、物語を知らない方でもなんか仲良しの友達がいるんだったかねというくらいには知られているんではないでしょうか。しかしじゃあダイアナについて色々思いをめぐらせてみると、意外とその人物像というものがはっきりしていないことに自分で気がつきました。そこでダイアナ・バリーってどんな人?ということを考えてみます。

松本侑子 訳『赤毛のアン』(文春文庫)を基本にしています。

 

 最初にダイアナの名前が物語に登場するのは、グリーン・ゲイブルズに向かう道中の馬車で交わされるアンとマシューの会話の中です。アンが「なんて完璧に愛らしい名前なんでしょう」(39)と言ったのに対しマシューは「そうさな、どんなものかね。わしには、罰あたりな異教徒のようにきこえるがね」(39)*1と、あまり普段直接的に意見を表明しないはずのマシューがここではおもいきって辛辣な表現を選んで話します。初対面のアンに誰かを紹介するに際して使う言葉としてはいささか乱暴すぎるように思うんですが、それはマシューの信仰心などとは別にアヴォンリーのそこかしこでこのような会話が普段からなされていたからではないかと思うんですね。それでごく自然にこのような言葉が出てきたんではないかなと。リンド夫人が面と向かってダイアナにそのようなことを言っている光景も容易に想像できます。とにかくこの時点ではアンも読者もダイアナを想像することくらいしかできません。

 ダイアナ本人の登場はそれから少し経ってふたりの出会いの場面。マリラに連れられてバリー家を訪れたアンは早速ダイアナとふたりで庭に遊びに出ます。そこで腹心の友としての誓いを立てようと提案するアンに「まあ神様を罵るなんて、いけないわ」(140)と返すダイアナ。これは“swear”という語の“誓い”と“罵り”という二つの意味を取り違えて理解したことによる齟齬が笑いを誘う場面なんですが、しかしこの「神様を罵るなんてー」というダイアナの反応は、彼女がこれまでずっと受けてきた名前に対する不当な評価や扱いが影響しているのではないでしょうか。「アンって変わってるわね。変わってるとは聞いてたけど、でも、アンをほんとに好きになりそうよ」(140)。“変わってる”とはダイアナ自身に向けられた評価でもあります。そんなアンのことを「ほんとに好きになりそう」だというダイアナの告白は、親近感を持ってアンを意識しだしたと同時に、彼女にとっての自己肯定の言葉たり得たのではないでしょうか。“なりそう”というところに迷いや未知の部分への不安が垣間みえますが、それでも“好き”という方へ確かに一歩踏み出した彼女の姿がそこにあります。

 アンがダイアナをグリーン・ゲイブルズに招いて開いたお茶会で、アンはラズベリー水と勘違いして果実酒をダイアナに勧めて酔わせてしまいます。この事件によってダイアナの母親バリ-夫人は激怒し、アンとダイアナふたりの関係は引き裂かれることになります。“永遠の別れ”を言いにアンを訪れたダイアナは言います「ほかに腹心の友は、決してもたないわ…ほしくもないわ。アンを愛するようには、誰のことも愛せないわ」「アン、心から愛しているわ」(211)。出会ったときには「好きになりそう」だったのが、この時点では「愛している」へと変化しています。ふたりの仲は、ダイアナの妹ミニー・メイの病気の看護でアンが活躍したことをきっかけとしてバリー夫人の誤解を解くことに成功し元に戻ることになるのですが、特にこの引き離されていた間に何度もダイアナはアンに“愛”という言葉を贈っています。時には詩の形式でそれを表現するなどアンに負けず劣らずのロマンチストとしての側面もみせます。「好きになりそう」のときに踏み出したその歩みを止めることなく、少しのためらいも感じさせないほどただ真っすぐに力強くダイアナは愛を表現するのです。

 ところが、ダイアナのアンへの直接的な愛情表現というものは次第に減少していくことになります。この一連のダイアナの行為を同性愛的表現と読むか、リリアン・フェダマンの名付けたところの“ロマンチックな友情”というものとして解釈するかそれは様々でしょう。しかし“バーリー夫人の異性愛制度の教化によって、ダイアナはアンに寄せる自身の同性愛的愛情を語る言葉を持ち得ず、「親友」という立場で彼女の近くにとどまり続けることしかできなかったのである”と髙橋博子が論じている*2ように、このダイアナの変化というものは異性愛制度を含むジェンダー規範が大いに作用してのものだろうと思われるのです。というのも、アンがクィーン学院の受験クラスに入ったときも、両親の考え方からダイアナはそのクラスに入ることを許されなかったし、リンド夫人などは「男と肩を並べて大学へ行って、ラテン語だ、ギリシア語だと、くだらない知識をつめこむような娘は、どうかと思いますよ」(481)とはっきり語るほど、かなりこの舞台のアヴォンリーは保守的なジェンダー規範に支配された社会であることがわかるからです。ダイアナはそれに対する抵抗の手段どころか、少しの逸脱する言葉でさえ持つことを成長とともに禁じられていったとみることができます。

 その反面というのか、その後のダイアナが大いに語ることをある意味では“許された”といえるのが、ホワイト・サンズ・ホテルで開かれる演芸会に出演するアンの支度を手伝う場面。衣装や髪型などあらゆるプロデュースを一手に引き受け、不安を吐露するアンの容姿を褒め称えつつ「完璧よ」(421)と言うのは自身の仕事に対してかと思わせるほどの活躍ぶりです。斎藤美奈子は『赤毛のアン』を貫くフェミニンやガーリーとされるものへの礼賛や肯定的態度を“膨らんだ袖を肯定する思想”と評の中で指摘していますが*3、フェミニンだったりガーリーだったりといったものの肯定というのは、アンのように(全て意識的にそうしていると読めるわけではないにしても)規範的でなくむしろそこから外れたあり方を度々示してきた人物ならいざ知らず、ダイアナのようにその規範に徐々に抑圧されてきた立場からすれば純粋に“肯定”と受け取ることは少し難しくなります。ある言葉は奪われ、ある言葉は許される。ダイアナの主体性やそうして獲得したものは積極的に“肯定”したいと考えますが、そこにある抑圧というものをみないで済ませることはとてもできません。むしろ、ダイアナのそのような態度によって背景にある規範が色濃く浮かび上がってくるような気がするのです。

 ダイアナのセリフを注意深く読んでいると「ねえ、聞いて」という言葉が何回か出てくることに気づきます。口癖というほどでは全然ないんですがしかし少し引っかかる程度にはです。ダイアナはとにかく聞いて欲しかったんじゃないかなと思うんですね自分のことを。アンは例えマリラにあしらわれたとしても100%聞いてくれるマシューが常にいるけれど、それに比べてダイアナはアンを除けばそこまで聞いてくれる人がいなかったのかもしれない。そのアンにさえ話せないこともあったろうことを思えば、学校を卒業するときに「これからは、一人ですわるわ。アンと並んで勉強したことを思うと、もう誰とだって並べないもの。ああ、愉しかったわね、アン。それがみんな終わったなんて、たまらないわ」(404)と呟くダイアナの言葉から滲み出る孤独に胸が締め付けられそうになります。もっとやりたいことや言いたいことがきっとダイアナにはたくさんあったはずなんです。先に引用した"自身の同性愛的愛情を語る言葉を持ち得ず"という点を考慮して読めば、そもそもセクシュアリティについて話をする機会を奪われていた、その行動を抑圧されていた可能性もまたあるのではないかと。ダイアナの「聞いて」からそんな背景を含んだ想いをわたしは感じます。

 こうしてダイアナに着目して『赤毛のアン』を読み返してみると、Netflixのドラマ『アンという名の少女』のアダプテーションはとても良かったなあと思います。植民地主義レイシズムの問題、フェミニズムクィア理論の観点を盛り込むなど原作にはみられない批評的立場での語りなおし、そしてダイアナを解放する物語というこの作品のひとつの側面など、とても胸を熱くさせる要素に溢れています。ダイアナを解放したいというこの気持ちは、なにもダイアナは原作においては悲しいだけの人物だと言いたいのでは全くないです。むしろかわいくておもしろくて結構大胆でイタズラっぽくて深い思いやりがあって強い意志を持つダイアナ・バリーその人が大好きなんです。大好きだからこそダイアナのことをもっと考えたくなる。そうするとそこにある規範や抑圧から目を背けることはますますできなくなるんですね。

 さて最後にアンがクィーン学院を卒業した後に、グリーン・ゲイブルズの切妻の部屋でダイアナとふたりで語り合う場面から少し。「あら、ステラ・メイナードのほうがよかったんじゃなかったの?」「ジョージー・パイが言ってたわ。あんたはステラにのぼせ上がってるって」(455)。ダイアナの鼓動が聞こえてきそうなほどにとてもドキドキするこの言葉にアンは「私、前にもましてあんたを愛しているわ」(456)と応じます。物語の終盤に交わされるこの短いやりとりからわかることは少ないかもしれないけれど、何もかも知っていたら半分もわくわくしない。だって想像の余地がないでしょう?

 

 

*1:ダイアナという名前はローマ神話の月の女神ダイアナに由来するため、長老派プロテスタントの立場から“異教徒のよう”とマシューは表現している。/訳者によるノートー『赤毛のアン』の謎ときー第2章(22)参照

*2:平林美都子 編著『女同士の絆 レズビアン文学の行方』(彩流社)P.57

*3:斎藤美奈子『挑発する少女小説』(河出新書)P.121

『哀れなるものたち』 !ネタバレ!

 映画『哀れなるものたち』の内容に言及しています。そして使用する言葉によってかなりしんどく感じる方もおられると思いますので、そのときは無理はせずすぐに読むのをやめていただいたらと思います。

 

 監督/ヨルゴス・ランティモス 脚本/トニー・マクナマラ『哀れなるものたち』を観ました。昨年からの各所での高評価といいかなりの話題作ですね。批評やレビューなどおそらくその大半は肯定的意見でしょうし、わたしも多くの部分で肯定的に受け止めたのですが、しかしなかなかどうして受け入れ難い程度の描写がありましてその批判を中心に少し書こうかなと思います。

 

 少なくともわたしの知っているものと大まかには同じようにみえるがしかし少し違う世界。時代的には十九世紀末あたりのようだが、しかしやはり少し違う。この違いがとてもわくわくしたり不気味だったり恐ろしかったり美しかったり、ことごとく映画を観るこちらの側を常に翻弄し続ける力をもつとても刺激的なもの。しかし残念なことにわたしの知る世界と同じようにこの世界にもセクシズムがある。

 主人公ベラをあの手この手で支配し操ろうとする男性たち。ゴッドは全く自身の勝手な好奇心からベラを“作り出す”ことのみならず、実験結果を観察することに余念がない。その助手の形でベラに近づくことになるマックスにしても、ゴッドの実験に加担しているばかりか(ゴッドにそそのかされてではあるが)ベラと婚約し、家父長的にベラをコントロールできる立場として振る舞う。そこに割って入ってくるダンカンも、ジャスミンを誘うアラジンよろしく世界を見せようとベラにそう提案しておきながら、結局自分の支配下で自分の都合の良い存在であるようにベラに要求する。しかしベラはそれら全てに対してあるときには拒絶し、またあるときには最初からそのような規範の中にはいないのだとばかりに蹴散らす。そんなベラの様子が痛快なのと同時にとても心揺さぶるものとして映るのは、セクシズムという構造を共通してもつふたつの世界のこちら側から、いうならばベラに対するアライとして別の世界からそれを観ているわたしが共感しているからだ。

 物語中盤、船旅の途中で知り合うハリーにベラは“世界”をみせてもらう。非常にメタフォリカルな城砦のような建造物で表現されるその“世界”では、上部にいるベラたちの優雅さとは対照的に下部にいる人たちは貧困に喘ぎ苦しみながら生きそして死んでいる。それを知りながら“羽根の布団で眠る”ことにこの世界の歪みや矛盾や残酷さ、そして何より自身の特権性をベラは認識することになる。これはホワイト・フェミニズム的な立場からの脱却かあるいはその否定として機能し得る場面だ。しかしわたしはこの先ここから大きく端折って終盤辺りの展開について言及することになるのだが、それとこのホワイト・フェミニズムの否定というあり方が、その立場的にもかなり矛盾するものであることをまず指摘しておきたい。

 ベラとして生まれる前に結婚していたアルフィーという軍人が現れてベラは共に生活することになる。ベラのクリトリス切除を企てるアルフィーと対決したベラは、その結果負傷した彼をマックスの元に運び込んで治療を依頼する。そのときベラはアルフィーを殺すということも可能だったろうがそうはせず“進歩”させる道を選ぶ。それが最後のオチという形になる、ヤギの脳を移植させられたのであろうアルフィーが葉っぱをついばむ姿だ。かなりコミカルに描かれるこのカットにわたしは非常に落ち込んだ。その前の手術の場面でヤギの顔のカットが挟まるのだが、その時点でまさかそうではないかと予感させておいて、案の定最悪な展開で予感がそのまま現実になった。

 まずこの映画でセクシズム、家父長制は一貫して批判対象となっている。生命や身体に対するあまりにも傲慢な態度や、他者の尊厳を踏み躙ってでもそれを支配下に置いておこうとする思想、それらをずっと批判していたはずである。その上でこの展開はあり得ないだろう。またわたしが生命や身体というのは人間かどうかに限った話ではない。なぜヤギが“犠牲”にならなければならないのか。人間中心主義といえばこれはあまりにも酷い発想と言わざるを得ない。

 そしてゼノジェンダー*1について。クィア映画だとおそらく一般にもそう認識され、わたしも観た上でそうであると強く思う作品だけにあまりにもこの表現は攻撃的にすぎる。寓話であるからという問題ではなく、あるあり方であれば尊厳を否定されることも可というメッセージに十分なり得るこの表現を問題としている。特定の属性やアイデンティティを無化しているだけにとどまらず、動物的な動きを模倣することをオチとして笑いで消費することの暴力性を認識すべきだ。そしてなぜそれがそもそも“報い”のようなものとして成立し得るのかという問題がある。動物のような動きがなぜ嘲笑の対象なのか、惨めなものとされるのか、なぜそれが“罰”なのか!作り手だけでなくこれは受け手のわたしたちの認識も併せて批判的に検討されるべき問題だと思う。

 そして先に述べたホワイト・フェミニズムの問題である。それと関係の深いいわゆる監獄フェミニズムについての批判は過去にしたので繰り返さないが、こうした厳罰主義の行き着く先というものは畢竟マイノリティに対する抑圧の強化だ。差別や暴力や抑圧が個人の問題として矮小化して語られるとき社会的構造の問題は確実に覆い隠される。構造に着目されなくなってしまえば、それこそホワイト・フェミニズム的なものどころかもはやセクシズム批判だって到底不可能だ。交差性を念頭においた語りもなされることはないだろう。誰か特定のものを罰したところで何も解決はしないし、そのような評決を下しそれを実行できる権力をもつ自身の立場の暴力性をこそ認識するべきだ。このように自己の特権性なり加害性なりを認識したはずのベラとその後の行動があまりにも矛盾しているものとなっている。

 付け加える形になるが、これは日本の問題として部落差別との関係から大いに複雑な気持ちにならざるを得ないところもある。“よつ”という言葉があるように、非常に強い侮蔑的意図を示すときに獣と関連させる差別語は実際に存在している。もちろんそれだけでなく差別語と一般になされていない語の中にもそうした表現はある。しかし繰り返しになるが、わたしは尊厳について“人間の”と特にこの場でそのような枕詞をのせるつもりはない。相手を貶めようとする行為も、それに獣を利用する考え方もどちらも批判する。尊厳に対する向き合い方としてわたしはそうした態度を示したいと思う。

 

 だいぶ批判的になりましたが、しかしいいところももっと語りたいのはあるんですよ。めっちゃキャンプな画作りとかぐにゃぐにゃのレンズとか作り物っぽさによる不穏さとか。ちょっと『カリガリ博士』みたいだなと思ったり。すごく人工的なもの盛りだくさんなところに森のシーンなんかが挟まって、しかしそこでもパンフォーカスあんまり使わないというか特に寄りの画だと絞り全開のあの感じがまた人工っぽさを生むのかなとか。フレアの使い方も好きですね。あれもだから撮ってる感の効果ありますよね。って無駄なこと書いときながらやっぱり批判批判批判という気持ちが襲ってくるこのモヤモヤはどうしようもないってところですね。

*1:「ヒトの性別理解の範疇を超える性別のありかた。動物や植物、その他の生物やものなどとの関係を用いた、性別の分類や体系をつくることを重視する」と説明される性別のありかた。以下のURL/LGBTQ +Wikiより引用

https://lgbtq.fandom.com/ja/wiki/ゼノジェンダー