『乳房よ永遠なれ』

 監督/田中絹代、脚本/田中澄江『乳房よ永遠なれ』を観ました。1955年公開の本作は田中絹代の監督三作目にあたります。

 

 ふみ子は家事労働中にも「おい」と呼ばれるやいなや夫・茂のもとに駆けつけなければならない。健康状態の良くない茂のケア、困窮する生活、子育て、ふみ子には相当な負担がのしかかっている。また茂はふみ子の歌の会への参加をよく思っていないらしく「歌でも作らなくちゃうだつが上がらない」などと酷い言葉を浴びせかける。ふみ子の自由な行動や文化的な生活もそうして抑圧されている。女性・妻・母など、ふみ子にとっての様々な属性や付与されるラベルによって要求される仕事(労働)や役割や振る舞いや抑圧される肉体的、精神的自由。しかし社会からのそのような要求を拒否するとしても、あるいは引き受けるとしても、全て個としてのふみ子の主体的行為であるとして本作はそれらを肯定してみせる。

 茂とわかれたふみ子は二人の子ども・昇、あい子と共に家を出ることとなるが、すぐに昇は茂のもとへと引き取られる形(これも昇が跡取りとしての“長男”だからという家父長制的規範が背景にある)になるなど、家父長制的抑圧はなおも彼女を苦しめ続ける。友人のきぬ子の誘いを断って歌の会への出席を見送ったり、弟・義夫の結婚式を欠席するのは“出戻り”としての他者からの視線/ラベリングによってなされる攻撃などから身を守るためにも必要な行動だったろう。自身の立場は変化したとしても抑圧的構造の中にいることはなにも変わっていない。立つ瀬がない気持ちのままにふみ子はきぬ子のもとを訪ねる。そこで在宅中のきぬ子の夫・堀と会う。堀はふみ子の歌人仲間でかつ友人であり、ふみ子は彼に密かに好意を寄せている。楽しかった思い出話をする中でふみ子の堀に対する長年の思いが溢れてしまうのだが、帰りのバス停まで堀と歩く道すがらついにはっきりとそれを告白する。同時にこのとき「たった一度の見合いで、人形のように飾られてお嫁に行ったんです。愛することの意味も知らずに」と前の結婚についての後悔も口にするのだが、これは家父長制という構造を正面から捉え、苦しみの根源はそこにあることをはっきりとみ据えるふみ子の姿を示している。“愛することの意味”を今のふみ子が知っていると自覚しているのかはわからないが、少なくとも“人形のよう”な状態でそれは知り得ない。この堀とのやりとりは抑圧的構造から自身を解放するために踏み出したふみ子の確かな一歩である。

 堀の急死後、意を決したふみ子は茂の元で暮らす昇を迎えに行く。密やかになされる行為のため半ば強引に連れ去ったようにみえるのだが、家父長という権力と対峙する彼女の姿を明確に描き出している。先の堀への告白や昇を迎えに行く行動には、すこしこちらが冷やりとさせられるほどのふみ子の大胆さがうかがえる。しかしそれを何か特別なエクスキューズ付きで描くとか、その大胆さを埋め合わせるような対になる人物を配置したりして取り繕ったり規範を強化するような描き方はしない。確かにふみ子への様々な抑圧の描写や堀の死など、あるきっかけや様々な背景があるのは事実だが、あくまで本作はふみ子のひとつひとつの行動を丁寧に掬い取り画面に映し出していくことのみに集中している。

 生前の堀の協力もあってふみ子の短歌は中央歌壇で紹介され話題となる。歌人としてこれからというその矢先、ふみ子は乳がんに冒されていることがわかり乳房の摘出手術を受け長い闘病生活に入ることになるのだが、この時期に新聞記者の大月との出会いがある。大月の書いたふみ子についての記事から、その闘病と死に関連づけられた好奇心が作品の評価として表れている可能性を読み取ったふみ子は大月にその怒りや憤りをぶつける。それでも作品を作れと促す大月にふみ子は「お乳のなくなった私に、一体何を作れっておっしゃるの」と返す。“女”であるということは“女流歌人”と呼ばれることよりもずっと価値があると。都合のよい他者のまなざしよりも自身のアイデンティティの重大性を主張しラベリングを拒否してみせる。その後に催されるふみ子の歌集の出版記念祝賀会に彼女の姿はない。当然闘病中のための欠席であることは確かだが、そこに列席する多くの男性たちの姿から”男性による評価”を必要とされる歌壇の家父長制的あり方が浮き彫りにされ、またその構造や“男性による評価”そのものをも拒否してみせるふみ子のメッセージを思わせるようにポツンと空席が置かれている。

 ふみ子の行動の大胆さが際立つのは、堀の家で友人であり堀の妻であるきぬ子が沸かす風呂に入る場面だろう。これはふみ子がきぬ子を訪ねた際に堀が入浴していた過去の場面と対になる。「私のお乳とった痕みてちょうだい」ときぬ子に迫ってみたり、気持ちよさそうに歌を口ずさみながら入浴するふみ子の姿。大月と共に訪れた義夫は「手術してからの姉はすっかり変わったんです。まるで子どもみたいになっちゃいました」とこぼすように言う。抑圧的構造や支配的なまなざしに絡め取られまいと懸命にもがくふみ子のさまが“子どもみたい”と映ったのか、逸脱的にみえるふみ子に困惑する感情の吐露と同時に“男性による評価”がある意味ここでも繰り返される。弟の義夫という血縁関係にあるものが“負目”のような形で自ら先手を打つようにそう話すのも、家父長制的規範から生じる抑圧の結果であるとともに家父長の側からのふみ子にたいする断罪である。しかし風呂上がりのふみ子に膝枕をするきぬ子は、ふみ子の“子どもみたい”な姿を決して断罪するようなことはしない。きぬ子の内面が理解できるセリフは少ないが、それでもあるがままのふみ子を受け止め肯定しようとする姿に彼女にとっての解放への意思表示をみてとれる。そしてそんなふたりの間には、自身を解放しようとするもの同志のシスターフッドが築かれている。

 「変ねえ。お乳もなくなって、胸をやかれた私が、よく眠れたなあって」。大月と一夜を共に過ごした朝ふみ子は言う。鏡を通した間接的視線の交差が幾度か本作では印象的に描かれるが、他者からの一方的なまなざしではなく直接的に両方向からまなざし合うことで生を実感し、さらにジェンダー化された身体から自らを解放するような言葉とともに幸福を噛み締める。大月とのこの水平的なまなざし合いこそが家父長制的規範を解体する行為であり彼女自身にとっての解放でもある。そこにふみ子という個が存在しているという事実、ふみ子自身がその感触を確かなものと抱きしめている姿にいかなる説明も必要ない。そこにあるのはふみ子という実存である。

遺産なき

母が唯一のものとして

残しゆく死を子等よ受けとれ

 生命が尽き病室から運ばれてゆくふみ子を追う昇とあい子のふたりは閉じられた鉄柵に阻まれてしまう。昇が「お母ちゃん」と叫ぶこのショットは、子どもたちを正面からみつめるふみ子の側の視点。しかしよくみると“目が合う”状態ではない。言ってしまえば昇とあい子はカメラ目線ではない。もっと遠く奥の方をみようとしている。この両方向からのまなざし合いがもはや成り立たない描写は、この世から、ふたりのもとから去って行くふみ子の死を強烈に印象づける。子どもたちに残した引用の一首を彼女の声が詠いあげるとき、そこで“残しゆく死”と彼女が表したその死を、鑑賞者であるわたしたちも確かに受けとる。

 なるほど確かにこれも“女が死ぬ話”の一種だ。しかしその死は誰かのための犠牲でも誰かに捧げられるものでもない。その死によって何かの“気づき”を得るなどのような、他者による一方的な彼女の死に対するまなざしや消費は描かれない。そもそもそのようなものは必要ない。描く必要があったのはふみ子の生と死だけだ。その生と死は彼女だけのものである。何かを選び、受けとり、拒否し、求めるふみ子という個の主体性を尊び、確かにそこで生きそして死んだふみ子の実存を肯定する。『乳房よ永遠なれ』とはそんな物語だ。

 

 冒頭のシーンで成瀬巳喜男『めし』を彷彿とさせるものを感じて、田中澄江脚本という共通点もあって興味深く思いました。まあ実際本作を最後まで観ると全然違ったんですが、それでも気になって『めし』の方も観返してみました。するとやっぱり全然違ったんですけども、いや実に好対照な作品だなとちょっと驚くほどでした。本作の評の中で“(ふみ子の)大胆さを埋め合わせるような対になる人物(はいない)”という表現をしましたが、『めし』においては主人公の三千代にとっての対となるキャラクターとして里子がいます。彼女の家父長制的規範からの逸脱性というものは終始“悪”として描かれていますが、そういう人物を配置することで主人公の安定性を一方では補強する。そして例えば三千代の弟の信三による説教の場面など、その“悪”を懲らしめるというカタルシスを狙っている面もあるんじゃないかなと。多分にミソジニスティックな表象でもありまが、一方で本作のふみ子はそんな里子のキャラクター性をも取り込んで、しかもそれを肯定しているという大きな違いがあります。最終的に家父長制的規範の中での“女の幸福”というものを三千代が発見するという回収の仕方も、本作と全く対照的なものだと思いました。

 日本映画全盛期ともいわれる50年代のちょうど真ん中、第二波フェミニズム前夜という時代背景からして、本作の意義というのは単にいい作品がそこにあるという以上に大変大きいものだと思います。今なお新たな点からの批評の可能性が開けているし、今だからこそもっと多く観られてたくさん批評されて欲しい作品です。また本作を含む田中作品を作家論的な位置から論じたものが、児玉美月、北村匡平『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』に収められているのでそちらも良かったらぜひ。