沖縄タイムス社編『沖縄戦記 鉄の暴風』がちくま学芸文庫として出版された。沖縄戦の前段階である日本陸軍の設置から十・十空襲、45年の米軍上陸から地上戦へと続く沖縄戦の実態を、膨大な日誌や経験者からの聞き取りによって詳細に明らかにしまとめられた記録である当書の歴史的意義やその価値は、初版の1950年から七十年を超えた今日いささかも色褪せることはない。まさに“鉄の暴風”による傷がありありと残る中、牧港篤三、大田良博両記者はバスを利用して国頭や中部を取材してまわり49年末には脱稿したというのだから、その働きには驚き感服するよりほかはない。そして沖縄人によって語られる沖縄戦という当書のあり方こそ、牧港氏が『五十年後のあとがき』に記すように“水々しく、且つほっと”であることを強調しているとともに、語りを受ける方のわたしにとっては語りの主体を意識する上でとても大きな意義を果たし得るものとなっている。つまり相手とわたしの立場をまず明確にすることが重要なのだと、当書の存在はそう示しているのである。
沖縄戦についての語りの中で“悲惨な過去”のような表現がよくみられる。それ自体は全く事実であり否定されるものではない。しかし、そうした表現もまたその語りが誰によるものなのかによって意味も機能も違うものになってくる。例えばわたしがそうした表現を多用したなら、沖縄戦における日本の加害性のみならず、それより以前ないし現在までも続けられている植民地主義政策を不問としたり、少し踏み込んで個人にフォーカスしたならば、わたし自身の応答責任が回避されるものにさえそれはなり得る。要は、“悲惨な過去”という事実として間違ってはいない表現で埋め尽くすことで、本来的に議論されるべき批判されるべきものごとを覆い隠す力が湧出されるのだ。さらに意識的か否かに関わらず浮き彫りにされるその他人事的態度もその力を加速させる。また、そうした表現は普遍性をまとった物語として自らを納得させ、そこに他者をも巻き込んで回収するに足る十分な力を有している。それは差し詰め問題の相対化と矮小化に繋がるとても危ういものである。そう批判するわたしも当然例外ではなく、語ることで発揮される権力とそれを操作できる立場ーこの場合は日本人のわたしという立場である以上、いつでもその過ちに陥る危険性があるのだ。
当書の中で相当程度の紙幅を割いているものに日本軍兵士の被害にフォーカスした部分や、島田叡官選知事らの動きに関するエピソードがある。沖縄人による沖縄戦記という語りの意義を最大限に考慮したうえでも、しかしわたしにとっては大きないたたまれなさをそこに感じずにはいられないのが正直なところである。端的に言うとある種の免罪符的に利用されてきたとさえ言えるそれらのエピソードに触れて滲み出る後ろめたさか。当書刊行当時から数十年経った後の時代を生きているものとして、その歴史的社会的背景を学んだ上での理解の必要性やその可能性がある一方で、免罪符的と表現したような利用のされ方ーこのような日本人もいたーという語りをかなり多くの場面で目撃してきたこともまた事実である。“このような日本人もいた”という言説は、日本の加害の歴史の話の中で度々現れてきた一種の“口封じ”だ。先ほどの“悲惨な過去”と同様に“このような日本人もいた”こともおおかたそれは事実であろう。しかしこれも同じく問題を捻じ曲げたり覆い隠すための手段として、またあるときは攻撃の手段として選び取られてきた文脈が存在するし、事実としてそう機能している現状がある。ある語りを引き受ける上でその語り方に注力すことと、そのためにまず立場を明確にしなければならないという問いを、こうした箇所からもまた強く意識させられる。
執筆者のひとり太田良博元記者はいわゆる“集団自決”について以下のように述べている。
「鉄の暴風」の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。(517)
“集団自決”という言葉そのものについては後で述べることにして、まず当時は“玉砕”という言葉が使われていたという点について考える。言うまでもなくそれは全滅という状態を隠蔽するために死(主に戦闘死)を美化し、軍国主義を称揚するプロパガンダ用語である。そして天皇を中心とする大日本帝国がその基底や背景にはっきり存在する、いわばそれらがあって始めて成り立つ非常にイデオロギッシュな言葉だ。軍国主義・皇民化政策の土台が前提ではあるが、言葉によって発動する圧力、抑圧の象徴的なもののひとつであるし、それを目的に造語されたものだ。つまり“玉砕”という言葉の背景やそれに含められた思想を考えれば、それは強制と切り離せるものでは到底ない。事実として“玉砕命令”という言葉の使用例もあるほどに、例え言外のものであろうともそこには命令的な圧力が含まれていることや、抑圧的空気による支配といったものを住民は感じ取っていたしそれは確実に存在したわけだ。数多くの証言で既に明らかなことではあるし、“軍官民共生共死の一体化”という牛島満の発した方針にもみられるように、いわゆる“集団自決”の軍による強制は明白なことだ。その否定などそもそも全く話にならないレベルの捏造なのである。
“集団自決”か“集団強制死”かという議論がある。それにはまずその言葉をめぐる日本政府の政策について、石原昌家氏による『解説』の中での批判に注目したい。いわゆる軍人恩給法に替わる援護法の下でのそれらの政策は、日本軍による強制死の被害者やその遺族を軍人軍属と同様のものとみなすものであり、虐殺されたものを靖国に合祀するという果てしのない屈辱的な行いに加え、遺族に対しては“経済的援助”の名目での遺族年金が支給されるため、その言葉を拒否することさえ一方的に断たれるという陥穽が用意されてもいる何重にも酷い日本政府による暴力的政策だ。同氏はこの日本政府による政策と共に、日本側が行う“集団自決”という言葉の絡め取りによって事実が歪曲されている点も批判している。わたしはこれも“処分”の一形態であると思っているが、“集団自決”を“集団強制死”と言うのかどうか以前に、この言葉もまた日本による簒奪と歴史歪曲と捏造と暴力に利用されている問題がまずあるのだ。沖縄人による語り、言葉を奪っている現状をみなければ、その先にある議論になどどうして進むことができようか。事実をできる限り正確に反映させることと、日本軍による強制性を明らかにすることを両立させるためにはどういった言葉を選択するのかは当然重要であるしむしろ考え続けなければならない。しかしそれでも日本人という立場で使う/使うべきでないなどと、少なくともわたしはその議論に参加することはできない。それより以前の解決すべき問題があるのだから。それを踏まえたうえで再度強調しておきたいのが、強制性の否定もなにもそんな話はまず論外なのだということだ。
最後にひとつ言及しなければならないと思うことは、今回の版元が筑摩書房であるということだ。沖縄人による沖縄戦記の重要性に触れたが、それを東京の出版社が出版するという、資本の論理と片付けるには乱暴なこれもひとつの絡め取りだろう。植民地主義の構図をそのままなぞるような様相を誰もがみいだしてもおかしくはない。しかし『まえがき』において記されている、沖縄タイムス社の“魂”であり“原点”であるこの書を沖縄タイムス社が出し続けることの意義を示しながら、それでも“日本全国にこの「魂」を改めて送り出す意義を重く見た“という説明には相当な説得力があるし、今回まずなにより冒頭にそのことを記していることにその決意の並々ならぬものを感じる。その“魂”を受けてわたしはどうするか。できればわたし以外の多くのひとたちにも読んでもらいたい。アクセシビリティの点からも、例えば電子化やオーディオブック、図書館の蔵書などのリクエスト等できることは沢山ある。最後になにかとても身近で平凡なことをやりますと宣言しているようだか、しかしそれは語りを受けたわたしが伝えたい“魂”が、そこに確かにあるからなのだ。